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戦国武将を訪ねて…八王子城城主「北条氏照」公と高尾山 (前編)

リフォーム 埼玉 越谷←ホームページはコチラから!       〈地域密着で安心リフォームをお約束〉 埼玉県越谷市リフォーム工事をしていますSHOT PLANの廣野です。いつもブログをご覧頂き有難うございます。  戦国武将を訪ねて… 八王子城城主「北条氏照」公と高尾山 (前編) 今回の戦国武将は八王子城城主「北条氏照」公をです「氏照公」は北条三代目当主「北条氏康」の3男であり小田原城城主「氏政」の弟にあたります「豊臣秀吉」の小田原攻めに際して徹底抗戦を主張しており武勇に優れた武将と言われています。その「氏照公」の居城と高尾山に登った様子をお伝えします。 「八王子城跡」は日本100名城にも選ばれた山城です。場所は中央道と圏央道に挟まれるような形の所に位置しています。 城の入山口には管理棟と説明板があるだけの簡素な物で玄人好みの城、そんな印象です。(管理棟にはボランティアガイドさんが常駐しています) ガイドさんの案内でまず目に入ったのが「御主殿に入る古道」です。もちろん再現された物ですが、いきなり戦国の世にタイムスリップできます! 「大手の門跡」この土の下に1988年の確認調査で見つかった「門の礎石」「敷石」があります。 ご覧の新緑の奧、上の方に見えるのが「本丸跡」当時はこの木々はなく向こうからはこちらの様子が手に取る様に分かったはずです「氏照公」はここに居城を築く前は北東に位置する「滝山城」を本拠としていました。しかし「武田信玄」の軍勢に攻め立てられ何とか防いだものの平山城の防御面の不利を悟りこの地に新たに巨大山城を築城したそうです。 古道から御主殿へ渡る為に架けられた「曳橋」敵の来襲時には落とせる仕掛けになっていたそうです。現在の橋は4年前に架け替えられた物。以前の橋の時にNHKから番組取材の打診があったそうですが老朽化の為、架け替え後にお願いしたところ綺麗すぎてキャンセルになってしまったそうです。 1590年「秀吉」の小田原攻めの際「氏照公」はここを重臣に守らせ自信は「小田原城」に籠もったそうです。しかしここ「八王子城」には「前田利家・上杉景勝・真田昌幸」「秀吉精鋭軍」が攻め寄せわずか1日で落城したそうです。写真はその時「御主殿」にいた北条方の婦女子や武将らが自刃して身を投じたと言われている「御主殿の滝」です。余談ですが昨年、訪れた埼玉県行田市にある「忍城」同じ時期に「石田三成軍」によって攻められていましたがこちらは最後まで落城せず。当然「三成」の耳にも「八王子城」落城の報は入ったはず。明友「直江兼続」の活躍に心情を想像すると、いかばかりか。これが歴史の点と点が繋がった時に味あう醍醐味。ロマンです!
当時の石垣です。赤黒くなっている部分が落城時に焼けた跡だそうです。 「曳橋」を渡る手前から見た「虎口」です。城の入口の事を言うそうです。 「御主殿」入口門である「冠木門」当時をイメージして再現されたそうです。 「御主殿跡」から見た「曳橋」敵の襲来時にはここから投石・投木を行ったそうです。白兵戦に刀は役に立たず上から物を投げるのが効果的だったそうです「氏照公」もここから見下ろして、そういった策を練ったかもしれません。その「氏照公」も小田原城落城後、主戦派と見なされ居城に帰る事なく切腹を命じられました。この山城跡を見る限りとても1日で落城したとは思えない程の規模、そんな感想を持ちました「氏照公」は戦国史上、決してメジャーな武将ではありませんが、この山城を整備した手腕からして彼自身がここに残り陣頭指揮を執ったならば「豊臣軍」に一泡ふかせたかもなんて想像してしまいます。これも歴史のロマンですね。さてこの後「本丸跡」を目指そうと思いましたが「御主殿跡」から40分程かけてかなりの勾配を登るとの事。この後「高尾山」を登る事も考えて次回の楽しみに取っておくことにしました。又の機会に「八王子城」お伝えします。ここから「高尾山口」まで車で向かいました。30分程の距離です。その模様は次回お伝えします。 リフォームに関するご質問・お問い合わせは、お気軽に下記、無料相談までお越し下さい。  リフォーム無料相談 ←ホームページはコチラから!
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