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戦国武将を訪ねて…「織田信長」公

リフォーム 埼玉 越谷←ホームページはコチラから!       〈地域密着で安心リフォームをお約束〉 埼玉県越谷市リフォーム工事をしていますSHOT PLANの廣野です。いつもブログをご覧頂き有難うございます。  戦国武将を訪ねて… 「織田信長」公 近江の戦国武将を訪ねて… 最後はMr.戦国「織田信長」公です「信長」公に関しては以前に尾張や岐阜を訪ねた事があります。しかし近江、中でも「信長」公の聖地「安土」はまったくの初めてです。期待に胸が高まります! まず向かったのはJR東海道本線安土駅前の「織田信長公銅像」。1991年建立。残念ながら「信長」公らしい気迫は感じられませんが、もの静かな印象の分、戦術家としての「信長」公を伝えている様な気がします。
安土駅前には他にも「信長」公関連の物があります。写真手前は「相撲櫓」。1570年に「信長」公が催した相撲興行が最初の興行と言われています。奧に見えるのは「安土城郭資料館」。ここには1/20に復元された「安土城」が展示されているとの事。早速、入ってみました。 中に入るとスグに目に飛び込んできたのは「安土城」1/20はかなり大きくて迫力があります。内部も精巧に造られていて…
実際に城内に入っている様にも見えませんか?ホント必見です!それともう1つ面白いのは安土町観光協会監修の20問からなる「信長検定 問題」をここでは気軽に受ける事が出来ます。ちなみに僕は満点でした! なおさら気分良くして、いよいよ「安土城跡」に向かいました「信長」公自身とも言うべきこの「安土城」日本史上初の「天守(天主)」を持つ城であり又、住まいとしたのも日本史上「信長」公だけと言うこの城。身震いしてきました。 城内に入り最初に見上げたこの景色。感動です!写真中央の木々の間に空が見えますが、かつてこの位置に「天守閣」が見えたハズです「天主」に向かった真っ直ぐなこの石段「大手道」です。ここから見えた「城」「神聖域」
まさに「信長」公はそこに住む唯一の存在(神)になろうとしていた。ここに来てみて、そう思えずにはいられませんでした。写真は「伝羽柴秀吉邸跡」に植えられていた紅葉です。 「大手道」沿いの左側に「伝羽柴秀吉邸跡」はあります。この後、行った「滋賀県立安土城考古博物館」「秀吉邸跡」の復元CGやジオラマを見る事が出来るのでここでは是非、歩いて歩幅等で間隔(感覚)を掴んでおく事をお奨めします「秀吉邸跡」の向かい側に「伝前田利家邸跡」があります。はたして「おね」さん「おまつ」さんはここで互いの旦那さまの話なぞしたのでしょうか…。 「大手道」をもう少し登ると「伝徳川家康邸跡」があります。現在ここには「摠見寺仮本堂」が建っています「摠見寺」「信長」公「安土城」築城の際に自らの菩提寺にするために「本丸」の西峰に他所より移築しました「安土城」炎上の際も焼け残りましたが1854年の火災で本堂等ほとんどを焼失。昭和7年にこの場所に「仮本堂」として建てられたそうでうす。 平成元年から始まった「大手道」の発掘調査の成果に基づき築城当時の姿に現在はなっていますがそれまでは「大手道」をふさぐ様な形で「摠見寺仮本堂」は建っていました「摠見寺」「信長」公の偉業を伝えるために場所をずらした形になっています。むしろ「石垣」「礎石」だけしか残っていない中で建築物としてこうやって建っている方が見る側としても当時をイメージしやすいかもしれません。又、日曜祝日のみ本堂を拝観する事(拝観料500円)ができます。もちろん僕も拝観させて頂きました。撮影は出来ませんが「信長」公の木造を見ることが出来ます。 中で「お抹茶」もいただきました「信長」公はよく「お茶」を嗜んだとの事。この場所でいただく「お茶」は格別な物があります。又、写真の甘味物は「柿の寒天」とても美味しかったです。 さて「天主」のあった「主郭内」にはいりました。この「主郭内」一帯が火災の範囲と推定されています。写真は「信長公本廟」羽柴秀吉」公が火災のあった翌年ここに「信長」公の太刀、烏帽子、直垂等の遺品を埋葬して本廟としたそうです。 そしていよいよ「天主閣跡」への石段です。この石段の部分も先述の「安土城」復元モデルや復元CG等に現されています。後でそちらを見た時又は見てから登った時に感動も倍増します。 ここが「天主閣跡」です。周りを石垣で囲まれた28m四方の台地に礎石が整然と並んでいます。実際に見ると意外に狭い印象ですがここは天主の地下があった部分です。「天主」(地上6階・地下1階 高さ33m)は石垣の上から始まるので城が現存していればかなり大きかったはずです。
「天主」の石垣上から琵琶湖方面を望みました。当時は真下まで琵琶湖があったそうです。現在は干拓により田地になっています。しかし「信長」公もこの山々と湖をここ(約30m上)から見ていたかと思うと再度、感動です。 「天主」を後にして復路は「摠見寺」が当時建っていた「百々橋口」方面へのルートを選択。当時はこちらが「大手道」だったそうです。写真は「摠見寺三重塔」 「三重塔」を過ぎるとその先に「二王門(楼門)」が姿を見せます「三重塔」「二王門」ともに当時「信長」公は実際に見ています。と言うよりも「信長」公が甲賀から移築してきた物です。1582年と1854年の2度の火災をまぬがれてきた歴史的建築物です。 「安土城跡」の次に向かったのは
「安土城天主 信長の館」。ここも是非、行ってみたかった所です。この中には「安土城天主最上部5階6階部分」が原寸大にて内部障壁画とともに復元されています。それでは中へ入ってみると… 「天主」スグに目に飛び込んできます。1/20も迫力ありましたが1/1はスゴイ!絶句です。写真は6階部分最上階になります。 先程の1/20の写真です。同じ様な角度から撮っているので1/1は「天主」をズームで寄って撮影したかのように見えませんか? こちらは5階6階部分「金碧障壁画」も精巧に復元されています。まさにこれを造った「信長」公「神」そんな気がしてきました。 今まで幾つかの「現存天守」「模擬天守」山城跡」「平山城跡」に行きましたが僕は「安土城跡」が一番(あの世界遺産「姫路城」より良い!)と感じました。これは個人的に「信長」公ファン(「上杉謙信」公とともに)という事もありますがここ「安土」周辺には「安土城」は現存していないのに「安土城」を心と目と耳で感じさせてくれる物(資料)、あたかも現存しているかの如く感じさせてくれる物(施設)があるからだと思います。それと「信長」公の何故この場所に否軍事的城郭を建築したか?ここに来て実際に触れてみて、その疑問が解けたからとも思います。
この後、紅葉の名所「湖東三山」の1つ「西明寺」を訪ねました。実はこの寺院「比叡山焼き討ち」直後に「信長」公により焼き討ちにあっています。写真の「二天門」は幸いにも火難を免れ現存している物です。それと「親鸞上人像」が特別公開されているので是非、見てみたいというのも訪ねたかった理由の1つです「浄土真宗」の開祖である「上人」「越後」に流罪になった時にこの寺に立ち寄ったと言われています。(後に「謙信」公が保護した縁で越後上越には「浄土真宗」のお寺が沢山あります。)その縁で遺徳を偲んで「上人像」が造られたそうです「上人像」の写真撮影は禁止されています。 こちらも火難を免れ現存している「三重塔」訪ねた時はちょうど屋根の葺き替え工事中でした。シートを被っていて姿を遠目から見る事はできませんが足場に上がって葺き替え工事の様子を見る事は出来ます。 さてここを最後に近江の戦国武将を訪ねる旅を終えました。まだまだ他にも沢山の武将がここ「近江」にはいます。又いつか訪ねてみたいと思います。 リフォームに関するご質問・お問い合わせは、お気軽に下記、無料相談までお越し下さい。     リフォーム無料相談 ←ホームページはコチラから!
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