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2013/06/12

戦国武将を訪ねて…「小田朝興」公

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埼玉県越谷市リフォーム工事をしていますSHOT PLANの廣野です。いつもブログをご覧頂き有難うございます。
戦国武将を訪ねて… 「小田朝興」公


「私市(騎西)城」城主「小田朝興(ともおき)」公を訪ねたが現地において「朝興」公を感じるものは皆無。「忍城・成田家」から「小田家」に養子に入ったのが「朝興」公である事ぐらいしか知らないが取りあえず縄張り探索してみました。




「忍城」と同じく水に浮かぶ城だった様だが現在、水を感じるのは‥

ここくらい。残念ながら当時のものではない。

ここは当時の縄張りを想像できる場所かもしれません。手前の緑が「土塁」であり田が「水堀」

影の部分が「土塁」であり田は「水堀」。この風景は当時あった「玉敷神社(現・前玉神社)」から見た所。


ここで城内に入る事の許しを得てから「大手門」に向いますが、ここに来る前に「御蔵屋敷」に寄ってきました。


「御蔵屋敷」。米などを蓄えていた蔵だそうです。ここから「玉敷神社」、そして「大手門」へ。


「大手門」。正面が「四の丸」になります。

「四の丸」

そのまま「三の丸」へ。

「三の丸」内にある「的場」。ここは弓や火縄銃の練習場だったようです。

「三の丸」「御蔵屋敷」の間の「外堀」では「障子堀」が発掘されました。


発掘当時の写真。僕が撮影した場所は右下建物の前辺りです。

そこから写真の兜が完全な形で出土されました。

ここから「天神曲輪」

向う途中にあるのが‥



「土塁」。唯一の遺構です。

「土塁」の上から「外堀」を眺めます。そして「馬場曲輪」から「二の丸」へ。


「二の丸」

最後に「本丸」へ。以外にも「本丸跡」の標柱杭はありませんでした。やはり「小田朝興」公には出会う事は出来ませんでしたが「私市(騎西)城」自体はコンパクトで「外堀」「障子堀」に守られた実戦的な城の印象を受けました。そして最後に訪れたのは‥



現在の「玉敷神社」。ここにある藤の木は樹齢400年と言われています。ここでお邪魔させて頂いたお礼を述べて城を後にしました。

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