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2015/02/22

戦国武将を訪ねて…「米沢上杉家」⑤「米沢城と城下」

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 戦国武将を訪ねて…「米沢上杉家

「米沢城と城下」

現在の「上杉神社」、かつての「米沢城」と城を中心とする「米沢城下」を歩いてみた。

「米沢城下」北の入口。敵の侵入を阻止する為のクランクが現在もそのまま使われている。車の進入経路でそれが分かる。

「城下入口」から「町人町」を抜け「三の丸」に入るには「水堀」がそれを阻止した。現在は「水堀」は埋め立てられているが「土手跡」は残っている。写真の小さな丘がかつての「曲輪」。手前の地べたが「水堀」

「色部家」の屋敷近くには「謙信」公に供えた「清水」、いわゆる湧き水場があった。城のお茶用の水としても使われた。

「城下」の北西には「地番匠町」があった。「番匠」とは大工の事で大工や職人が住んでいた町である。ここには大工の神様である「聖徳太子」が祀られている。

「地番匠町」から南に歩くと現在の「西條天満公園」にでる。

ここも「三の丸」に入るのを阻止した「水堀跡」がある。写真左が「曲輪」。手前が「水堀」。現在は分かりやすく復元されている。

かつては「水堀」に沿うように「武者道」があった。この細い道は下級武士が帯刀せず忍んで買い物をする際に使ったといわれている。

左側が「三の丸」。右側が「町人町」。かつての住み分けも今でも残る堀で感じる事ができる。

「東寺町」「米沢城」の東のはずれにある。城下の東側の防衛拠点。

「小嶋総本店」。1597年創業の酒蔵。「東光」の名で知られる「米沢藩上杉家御用酒屋」でもある。

「米沢城下」南の入口。北と同じく今でもクランクした道が使われている。

「城下」の入口前にもいくつかの寺が残る。「長泉寺」には「鷹山」公の側近「莅戸善政(太華)の墓がある。

「武者道」。かつては先程の「武者道」に繋がっていた。

「米沢城」の西にある「上杉家廟所」。家祖「謙信」公を中心に歴代藩主が眠る。

「上杉家廟所」の側に建つ「熊野神社」。藩政時代にはここに鉄砲が隠されていた。

「本丸」の南側。「二の丸」とを分ける「水堀」沿いを歩く。ここは今でも往時を感じさせてくれる。

そこには「上杉伯爵邸」がある。13代目藩主「茂憲」公邸宅。

「本丸」内北東のこの場所に3階建ての「櫓」が建っていた。「米沢城」は天守を持たない城だった。

その場所に現在は「㬢山公碑」が建つ。戊辰戦争の責を負った12代藩主「斉憲」公を偲んで建てられた。

北西にあるもう1つの「櫓跡」。北東・北西の2つの「櫓」「天守」の代りを果たした。

現在「本丸」の中心には「上杉神社」ともう1つ「稽照殿」と呼ばれる建物が建つ。「謙信」公の遺品を中心に「上杉家」の宝物が展示されている。登録有形文化財建造物。

効外に目を向ければ「白布高湯温泉」に行くと「白布西国三十三観音」がある。ここには歴代藩主も参詣している。
最後に訪ねたのは「上杉家歴代米沢藩主葬儀場跡」。初代「景勝」公から7代「宗房」公までの葬儀がこの場所で行われた。ここまで駆け足で見てきたが「米沢」には「上杉」の遺構がよく残っている。この家が今でも愛されている証拠だろう。

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