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2015/11/23

戦国武将を訪ねて…「吉川経家」公

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 戦国武将を訪ねて…

「吉川経家」公

吉川一門の中でも武勇に優れた「経家」公を訪ねて‥

「鳥取城」へ。

「大手登城路」。かかる橋は「擬宝珠橋」。その先は「中ノ御門跡」

「中ノ御門」側から「大手登城路」を見る。現在は復元に向けて整備中。

「北ノ御門跡」手前の「宝珠橋」から「擬宝珠橋」を見る。

「北ノ御門跡」

「米蔵跡」

「三ノ丸跡」

「太鼓御門跡」

正面に見えるのが「天球丸跡」

「楯蔵跡」。ここから‥ 

「天球丸」の名の所以である「天球丸巻石垣」を見る事が出来る。

「天球丸」

「天球丸」上から「天球丸巻石垣」を望む。

「表御門跡」

「菱櫓跡」

「菱櫓跡」上から「太鼓御門跡」を望む。

「三階櫓跡」


「三階櫓跡」に登り「米蔵跡」を望む。手前に建つ洋館は「仁風閣」

「石切場跡」

「裏御門跡」

「お左近の手水鉢」

「登石垣」

「西坂下御門」

「小鍛冶の石船」。以上は「山下ノ丸」と呼ばれる「鳥取藩」時代の場所に建つもの。「経家」公の生きた戦国時代の遺構はこの上の「山上ノ丸」に残る。

「二ノ丸」奥に建つ「八幡宮跡」から標高260.2mの場所にある「山ノ上丸」へ向けての‥

山道はかなりの険しさを誇る。「信長」公「堅固な名城」と評され「経家」公自身は「日本にかくれなき名山」と称した「鳥取城」の堅固さが実感できる。1581年2月「経家」公「鳥取城」に入城。これは「秀吉」公率いる「織田中国討伐軍」の侵攻に対抗する為「吉川本家」からの命によるもの。「鳥取城」の守備兵はおおよそ4,000人。「経家」公はすぐさま防衛線を強化して籠城の準備に取り掛かった。

「山ノ上二ノ丸跡」

「山ノ上二ノ丸」から鳥取平野を望む。

「車井戸」「経家」公が入った時代にはなかった。

「天守台」。1573年「布勢天神山城」の3層の天守を移築したとされている。

「天守台」から望む日本海。「経家」公がこの城の在城は約8ヵ月。「秀吉」公による「鳥取城渇え殺し」が行われたのは在城4ヵ月目である。「信長」公の指示により「秀吉」公2万の兵力で「鳥取城」を包囲し一切の補給路を断った。これにより兵糧は尽き始め2ヵ月目には城内のあらゆる物を食べ尽くし3ヵ月目には餓死者が出始める。城内は餓死した人の肉を食す有様となったが4ヶ月の籠城には耐えた。「経家」公は城兵の命と引き換えに降伏の意を決す。「秀吉」公「経家」公の奮戦を称え自刃の必要なしの旨伝えるが「経家」公はそれを拒否。責任を取って自刃するとの意志を変えなかった。この武勇は現在もこの地に語り継がれている。

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