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戦国武将を訪ねて…「上杉朝定」公と「松平信綱」公

リフォーム 埼玉 越谷←ホームページはコチラから!          〈地域密着で安心リフォームをお約束〉 埼玉県越谷市リフォーム工事をしていますSHOT PLANの廣野です。いつもブログをご覧頂き有難うございます。  戦国武将を訪ねて…「上杉朝定」公と「松平信綱」公 先日、埼玉県川越市にある「川越城跡」に行ってきました。この「河越城」の戦国武将といえば「扇谷上杉(おうぎがやつうえすぎ)としては最後の城主「上杉朝定(ともさだ)になるでしょうか。そしてもう一人、戦国の世は終わっていましたが「川越城」を本格城郭として築いた大名として「松平信綱(のぶつな)を押さえておかなければなりません。まずは「朝定」公「扇谷上杉」氏が築いた「河越城城主」として6代目にあたります。但し城主としての「河越城」在任期間は1年にも満たず「松山城」に居を移しています。これは「後北条家2代目氏綱(うじつな)に城を奪取されたものによります。 現在の「本丸御殿」築城を命した「上杉持朝(もちとも)」公(河越城初代城主)の時代はこの場所と隣の博物館のある場所を合わせた程の規模だったそうです「朝定」公は城の奪回をはかるべく9年後に「北条」家に挑みますが無念にも討死「扇谷上杉」家は断絶してしまいます。現在の「川越城跡」を訪ねても残念ながら「朝定」公に関するものは何もありません。これは戦国時代の城というよりも徳川時代の城としての要素が色濃く残っているからではないでしょうか。僕としてはもう少し「朝定」公を訪ねてみたいと思いますが「河越城」ではなく「川越城」を見るとしたならば「松平信綱」公を訪ねるしかありません。 「二の丸」から続く「本丸」への入口「本丸門」があった場所です「信綱」公はこの門と合わせて13の門を造っています。 唐破風屋根の玄関を抜けると座敷部分を取り巻く廊下に出ます。床の材質はケヤキを用いているそうです。又、主賓などが通る為、天井も高くとっています。 こちらが床の間の裏側にあたる廊下。床の材質はマツです。天井の高さも表側との違いが分かると思います。 現在の航空写真に当時の城郭をあてはめたもの。非常に分かりやすく当時と現在を比べる事ができます。 「信綱」公による拡張整備の際「本丸御殿」「大廊下」で結ぶ形で「家老詰所」が設けられました。現在は「家老詰所」の位置も異なり「大廊下」も残っていません。但し「大廊下」の柱のあった位置を示す為に瓦が埋め込まれています。 「家老詰所十畳間」家老による審議が行われています。 城内の最も高い所に建てられた「富士見櫓」「信綱」公は合わせて3つの櫓を整備しています。 「富士見櫓跡」に続く階段。 城内に残る唯一の堀跡を平成21年度に整備した「中ノ門堀跡」 深さ7m、幅18m「本丸御殿」に向いた堀の勾配は60°だそうです。これで敵の侵入を阻んでいたのでしょう。 「川越城」は明治維新後、早々に解体され現在は殆どが宅地化されたてしまっているので「信綱」公の存在を確かめる物もあまり残っていませんでした「御殿内大広間」などは戦後、体育館に使用するなど(現在も天井にボールがぶつかった跡が残っています)文化財として残すという気運は皆無だったのでしょう。残念ながら徳川時代の要素もあまり残っていないのですから、ここに戦国の香りを求めるのは100%無理と実感する旅でした。 リフォームに関するご質問・お問い合わせは、お気軽に下記、無料相談までお越し下さい。   リフォーム無料相談 ←ホームページはコチラから! ㈱SHOT PLAN www.shot-plan.net TEL/048-989-6844 FAX/048-989-6845 MAIL/info@shot-plan.net

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