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戦国武将を訪ねて…「桶狭間の戦い」 中篇

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戦国武将を訪ねて…「桶狭間の戦い」中篇

先日「桶狭間」で‥

「織田信長」公と‥

「今川義元」公が相見えた瞬間をやっと感じにいく事ができた。


「大高城」への兵糧入れを成功させた「松平元康」公狙いを‥

800m程先に見える「丸根砦」に定め5月19日未明に攻撃を開始。

「丸根砦守将・佐久間盛重」らも「大高城」を睨み400名の兵で1000名の「松平軍」に野戦を決意。6~7時間の激闘が続くが善戦空しく「丸根砦軍」全滅。

同じ頃、籠城策をとった400名の「鷲津砦軍」に対して「今川軍・朝比奈泰朝」率いる2000名の兵が攻撃を開始。数時間後にこちらも陥落。その時「信長」公は‥

「清洲城」から単騎駈け出し「熱田社」にいた。


そして「神宮」南にある「源大夫社」から見たのは「丸根・鷲津砦」付近から上がる煙。そこで両砦の陥落を知る。ここに1つの伝説がある。「信長」公「熱田」で戦勝祈願をしたところ、2羽の白鷺が社殿から飛び出し「織田軍」「今川軍」陣地に導き戦況を優位に運んでくれた。

そして白鷺は「桶狭間古戦場伝説地」の南450mの森に舞い降りた。そこには現在「鷺之森碑」がある。

一方「義元」公19日午前8時頃「沓掛城」を西に向け出発。

それに先立ち「義元」公本陣設営の為17日に「今川家武将・瀬名氏俊」「桶狭間山」南に着陣している。

「今川軍先鋒・松井宗信隊」「織田軍」の動静を監視する為、標高54.5mの「高根山」に布陣。

ここからは「今川」方の「鳴海城」を封鎖する目的で「信長」公が築いた砦が丸見え。又、「義元」公本陣へも見通しが良い為、合図を送るには絶好の場所である。

その頃「熱田」を出た「信長」公「鳴海城」から北へ500mの位置にある‥

「丹下砦」に到着。さらに800m南東の‥


「善照寺砦」へ移動。「信長」公「善照寺砦」へ入ると同時に先の「高根山」において‥

「織田軍別働隊」300名が「今川軍先鋒隊」に正面攻撃をかけるが結果は惨敗。「織田軍別働隊」は主力等50騎が討ち死にする。

その様子や「丸根・鷲津砦」陥落の報を「義元」公聞いたのは「桶狭間山」に入っている時。吉報による安堵感からか、そこで全隊、休憩に入る。

その時「信長」公は‥。続きは次回、お伝えします。


「熱田神宮」を訪ねて…

今年、創祀1900年の「熱田神宮」を歩いてみた。

今回、案内してくれたのは「熱田神宮ボランティア観光ガイドの会・平塚」さん。
「正門(南門)」横にある「上知我麻神社」「信長」公「丸根・鷲津砦」付近から上がる煙を見た場所「源大夫社」とは、ここである。かつては「旅の神様」として崇敬されていた。素直に「旅の無事」を祈って先に進んだ。

「清雪門」「不開門(あかずのもん)とも言われている。

「二十五丁橋」。板石25枚で造られている名古屋最古の石橋。

「第二鳥居」を抜けると「大楠」がある。樹齢1000年。

この「大楠」を住居にしている蛇の為に玉子が供えられている。

「信長塀」「桶狭間合戦」大勝の礼として「信長」公が奉納した「築地塀」

「本宮」

神宮内は神の領域。全ての自然物にも造形物にも神が宿る。しかしここに根をおろした順番は守らなければならない。この「木々」「神楽殿」の関係はその証だろう。

「一之御前神社」「熱田」において最も神聖な場所。今までは叶わなかったが創祀1900年に合わせて入る事が許されている。

岡部又右衛門家跡」「熱田神宮」宮大工棟梁で「安土城」築城の棟梁としても名を馳せている。「鎌倉往還(美濃路)を挟んで「熱田」の向いに屋敷があった。尚、この近くに「ひつまぶし」で有名な「あつた蓬莱軒」がある。ちょうど昼時だったので立ち寄ってみようと思い「熱田神宮」を後にした。             続きを読む→後篇へ


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