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2015/11/15

戦国武将を訪ねて…「堀尾吉晴」公

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 戦国武将を訪ねて…

「堀尾吉晴」公

「信長」公「秀吉」公「家康」公のいわゆる「三英傑」に仕えた「堀尾吉晴」公を訪ねて出雲国は「松江城」を訪ねてみた。

1600年「関ヶ原の戦い」で戦功をあげた「吉晴」公の子「忠氏」公が、24万石を得て「月山富田城」に入城。山城である「月山富田城」では城下町形成には不利な為「松江城」を築く。「忠氏」公が早世した後は孫の「忠晴」公の後見役を務めながら1611年「松江城」に本拠を移す。しかし間もなく死去。享年68。

 戦国を生き抜いた「吉晴」公が平和な時代への過渡期のなかでも戦うための城として築いたのがこの「松江城」である。写真は「大手木戸門」横の「内堀」

「大手木戸門」を抜けると「馬溜」に出る。正面には「枡形を形成する「高石垣」「太鼓櫓」

「大手門」「馬溜」「外曲輪(二之丸 下ノ段)」を分ける。

「外曲輪(二之丸 下ノ段)」


「太鼓櫓」を横目に階段を上る。

振り返ると「大手門」に連なる「石垣」。この上にかつては「狭間」を設けた「続櫓」が敵の侵入を阻んでいた。

「三ノ門」。ここを抜けると「二之丸」内へ。

「二之丸」から「天守」を望む。ここにはかつて「荒神櫓」が建っていた。残っていればこの角度から「天守」を望めなかったかもしれない。

「二ノ門」を抜けると正面に「武具櫓」

「武具櫓」を右に曲がると「一ノ門」。ここを抜けると「本丸」に入る。

威風堂々の「現存天守」がそびえたつ。

「天守附櫓」「石落とし」

地階にある深さ24mの「井戸」「天守」内に「井戸」があるのは「籠城」を想定しての物。 

今回、国宝指定の決め手になった「通し柱の釘穴痕」。平成24年「松江神社」で発見された「慶長拾六年正月吉祥日」などと書かれた祈祷札から完成時期が確認出来るとされた。その祈祷札がこの通し柱に打ちつけられていた事が釘穴の位置により明らかになり国宝の運びとなった。

「吉晴」公の前居城「月山富田城」より転用された部材。

「通し柱」に施されている‥

「包板」。部材の不具合を隠す為に柱に板を張り「鎹」や「鉄輪」で留められている。

「狭間」

「石落とし」

「天守雛形」。修復の命を受けた藩の御用大工「竹内有兵衛」が修復法研究の為に造る

「天守」最上階。

「宍道湖」を望む。

戦に備える為の城郭である事は随所に確認出来る。戦国を生き抜いた武将だからこそ平和な世を迎えながらも慎重にならざる得なかったのだろう。

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