戦国武将を訪ねて…「正木頼忠」公
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戦国武将を訪ねて…「正木頼忠」公
「正木頼忠」公が「勝浦正木」氏の家督を相続し、「勝浦城」に戻ったのは1575年。それまでの10年は人質として「小田原城」で過ごしている。晩年は「紀伊国」で過ごすが今回は「勝浦城」に訪ねてみた。
「主郭」は現在、整備されていて‥
「海城」の名の如く遠く太平洋を望める。
ここには女性の像が建つ。この人こそ「頼忠」公の娘である「養珠院 於萬の方」。後の「徳川家康」公の側室である。
そばに「徳川家系略図」も建っている。なるほど側室でも高貴な方を生んだ女性である事が分かる。しかし、なぜこの地に像が建つ程まで慕われているのか?
それは「お万の布ざらし」として、この地に残されている言い伝えがあるからだろう。「於萬の方」が14歳の時、勝浦城が落城する。その際に幼い弟と母を連れて八幡岬の東側約40mの断崖に白い布を垂らして海に下り小船で館山方面へ逃れたという。そんな伝承を市民は大事にしているのだろう。ところでその断崖は今もあるそうだ。
そこは「養珠夫人生誕地」とある碑を見上げてから石段を登り‥
鳥居をくぐり、さらに石段を登ると‥
「八幡神社」の小さな社にでる。当時からある鎮守か定かでないが、この社の裏に「お万の布ざらし」の舞台となった断崖がある。
ここからも遠く太平洋を望めるが足元はスグに‥
崖になっていた。ここから布を垂らして海へ下った?僕が行った日は風が強く、とても布を使って降り勇気なんかない。しかし当時の人は敵方に落ちるより命懸けで逃げる事を選択するかもしれない。そう思って下を見ていたら自然、吸い込まれそうな気分になってきたので、そそくさと城内に戻った。
さて「主郭」から「二郭」へは現在2通りの道があり1つは整備された階段。
もう1つは自然散策道。こちらの道の方が「海城」の雰囲気を楽しめる。
この道を歩くと、かつての「二郭」が見えてくる。
「二郭」。
「二郭」からさらに海に降りる事が出来た。ここで磯釣りを楽しむ人とすれ違った。
先程の「八幡神社」から見た「三郭」。
「三郭」。現在は「勝浦城」を訪ねる人の駐車場であり‥
ここ「八幡岬公園」への入口でもある。
案内版の駐車場が「三郭」。子供の広場が「二郭」。展望広場が「主郭」。
「三郭」から「二郭」への道からも「勝浦城」北側の素晴らしい海の景色を望める。はたして「頼忠」公も、この眺望を見たのだろう‥
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